自分のことではなく、子どもや他人が大きく関わってくると、自分の力だけではそうしようもない。
 不登校問題は、息子のことで、関わったが、
息子は家にいるし、外の社会的には、それほど、気を使うこともなかった。
 また、心配することも、息子自身のことであったり、家族との、関わりなどで、
外との広い関係で、困ることはなかった。
 しかし、娘のことでは、
自分だけではとうしようもない、状態に追い込まれることになる。
 詳しいことは、書けないが、
親として、母として、助けてあげられない。。。
 哀しみを知った。
 一つだけ、具体的に書くとしたら・・・、
夜中に、「お母さん、助けて」と電話がかかってきた。
すぐ行ってやりたいけど、
場所が離れているので、車で飛ばしても、2時間弱かかる。
 その時に、親として、どんな気持ちになるか・・・
 部屋の中をぐるぐる回り、心臓がばくばくして・・・
本当に、どうしようもなかった・・・
 この気持ちを、身近な人に話したことがあるが、
「共感」してもらえた感じはない・・・
 自分の立場に置き換えられないし、私がどんな気持ちでいるのか想像できないらしい。
そうだろうな・・・
 きっと、自分がこんな思いをすることになったから、
こういう気持ちが、わかるようになったということが言えるだろう。
 親として、子どもを助けてあげられない、この状態は、
心配をし過ぎ、辛く、哀しいものだ。
 そんなとき、祈るしかないのだ。ただ、祈る。。。
「何があっても大丈夫」と呪文のように、繰り返すしかなった。

 その後も、難しい問題がやって来る度に、「何があっても大丈夫」と繰り返した。
それで、救われたのだ。コロヒラット(こころをひらけば「何があっても大丈夫」)の位巳さんに感謝。

 娘のお蔭で、自分のワクが広がった。
自分のワク内では、そうしようもない問題に対して、
自分の「力」だけで何とかしようとしても無駄なことを、知った。
 力を抜くしかないのだ。
力を抜いて、大きな流れに任せるしかない。。。
 自分のワク内で判断せずに、
やってくることを受け入れる。
 受け入れて、
「何があっても大丈夫」って思う。
 でも、心からそう思うために、自分の場合は、大いなるもの、大自然、大宇宙、神様、仏様に、
「守られ、愛され、育まれて」いる実感が必要だった。
 それは、うまく伝えられないが、自分の内からやってきた。
周りの人たちの、よい考えは、参考になるが、自分で実感することが何より大切だ。
 それは自分でつかむしかない。
 そして、すべてに感謝する。
どんなことも、必然だ。
 狭い枠で捉えると、「苦しみ」なのだが、
広く捉えると「喜び」に変わるのだ。
 すべてに感謝(^^)
こころが平和になると、「感謝」しか思えなくなるから、嬉しい。。。

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