ひとり。。。
よくわからない。
でも、ひとりなのだ。
誰と居ても、どんな仲間があっても、ひとり。。。
そこのところの徹底が、本当の意味で、人ともつながれる。。。。
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クリシュナムルティの『子どもたちとの対話』から
さびしさとはどういうことか知っていますか?その言葉になじんでいない人もいるかもしれませんが、その感情はよくよく知っているのです。外へひとり散歩に出かけたり、本もなく、話し相手もなしでいてみると、どんなにすう退屈するのか、気づくでしょう。
しかし、なぜ退屈するのかは知らないし、それを探求したことがありません。退屈を少し探求すれば、その原因はさびしさなのだと気づくでしょう。
私たちが一緒にいたり、楽しんだり、あらゆる種類の気晴らし--導師の宗教上の儀式、お祈り、最新の小説を得たりしたいのは、さびしさから逃避するためです。内的にさびしいので、私たちは人生において単なる観客になってしまいます。そして、さびしさを理解して、それを超えるときにだけ、私たちは役者になれるのでしょう。
というのも、ほとんどの人々は、どのようにしてひとりで生きるのかを知らないから、結婚し、他の社会的関係を求めるのです。
ひとりで生きなくてはならない、ということではありませんが、愛されたいから結婚したり、退屈なので、自分を忘れる手段として仕事を使うなら、そのとき生の全体は果てしもない気晴らしの追求にほかならないと気づくでしょう。
ほとんどの人は、さびしさのこのとてつもない恐怖を乗り越えないのです。しかし、それは乗り越えなくてはなりません。なぜなら、それを乗り越えて本当の宝があるからです。
さびしさとひとりあることとの間には、たいへんな違いがあるでしょう。
。。。中略。。。
内的にひとりであり、見も心もさびしさのうずきから自由である人--彼らは真の人間です。というのは、真実とは何かを自分で発見できるし、時のないものを迎えることがあるからです。
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クリシュナムルティの言葉を聴くと落ち着く。。。
よくわかりきれていないのだろうが、なぜかこころの中が落ち着く。。。
そうだと思う。
今は、「ひとり」であることをとても大事にしたいようだ。
もちろん、夫や家族に囲まれて、ひとりではないのだが、なぜか、とても「ひとり」を感じて生きている。
今回の市民館祭り参加にしても、本当に、誰にも相談することなく、ひとりで決め、ひとりで企画し、ひとりで実行した。
大したことはないのかもしれないが、私にしてみたら、大きな出来事だ。
すべてひとりでやるなんてことは、今まででは考えられなかった。
ひとりでやっているのだから、当たり前かもしれないけど、その報告も誰にもしなかった。
ブログに書いただけだ。ブログに書けたからそれでよかったのかもしれないけど。。。^^
でも、本当のひとりきりではなく、神様・仏様がついていてくださるので、ちっともさびしくないんだなぁ。。。
それを実感させてもらえたかも。。。^^
それはとても有り難いことだと思っている。
だからこそ、クリシュナムルティの「ひとりについて」が、何となくわかるのだろう。
ひとり。。。
いいものだなぁ。。。☆(^^)
