はじめに

私たちは毎日何気なく生きていますが、朝元氣に目覚めることだって当たり前ではありません。心臓だって、生まれてから死ぬまで、一度も休まず動き続けてくれている訳です。

何もない普通の毎日を生きられることが幸せでそれが奇跡だと小林正観さんも言っています。

本当にそうですよね、現在はロシアとウクライナの戦争や異常気象など様々な日常とは違うことが頻繁に起きています。

穏やかな日々に感謝することを実践していきたいと思います。

幸せと思えることを見つける

今日愛犬との散歩中気持ちいいなぁ、有難いなぁと思い「幸せだなぁ」と声に出して言ってみました。

ゆっくり休める家があり、食べたいものを食べられることにも感謝です。暖かい毛布にくるまれて眠れることもとても有難いことです。

自分の時間を自分が思ったように使えることが何より自由で嬉しいです。

仕事を持っていると束縛される時間があり、自由に時間を使うことが難しくなります。

若い時なら、走るように飛ぶように動きまわることも可能ですが、年齢を重ねてくるとそうもいかなくなります。

これは年のせいにするということではなく、身体は消耗品なので、長年使ってきた身体をそのまま受け入れていくということだと捉えています。

気持ちだけ若いつもりで無理しても、それはケガにも繋がりますし、あらゆることにおいてミスが多くなります。

年齢と共に変わってくる心身の変化を受け入れる

特に私は若い頃にスポーツをしていて、高校ではその分野の強豪校で過ごし、実業団に入ったとういこともあり、自分の動きは素早いと自負していました。

スポーツとは違うのですが、家事においても素早くやれて、身体もその期待通りに動いてくれていましたが、50代半ば頃から、動きが少し遅くなってきました。

そして、還暦を過ぎ3,4年たってきて、急いで動くと、手や足を何かぶつけることが、ものすごく多くなりました。

ドアを開けて入る時にも肩をぶつけてしまったりするのは、身体の幅の感覚を自分で感じとれなくなってきたのかと思いますがよくあります。

それから指を挟んだり、これまでなら信じられないくらいのあらゆることの小さなミスが起きてきて、本当にびっくりしています。

これは夫ともよく話したりしていることです。夫は二つ年上なので、まぁ同じ年代の仲間と言えます。

夫も物忘れが増えて、ミスが増えているので、昔はこんなことはなかったのになぁと時々言っています。

年齢と共に筋肉や脳、脳からの指令などが遅くなることは自然のことだと思います。

それを受け入れ、その身体、その脳と共に仲良く生きていくための工夫というのは必要だと考えています。

年齢を重ねることを受け入れた上での工夫

メモすること、携帯のカレンダーにも予定を入れる、急がないこと、繰り返してチェックするなど、要注意することです。

これらは、普通に誰でも注意することですが、念には念を入れて注意ということが必要になってきているということです。

それらの注意は必要になりますが、まだまだ自由に動く身体があり、目も見え耳も聞こえ有難いことです。

しかし最近の目の調子が悪く、飛蚊症がひどくなっています。

耳も少し遠くなっているようで、テレビの音の数値がかなり高くなっています。

昨年の排泄の問題で苦しんだことなど、またこれから書いてアップしていきたいと思いますが、生きていて年齢を重ねて起きることも多々ありますね。

それにしても、自分の思っているように生活できているのではないかと思います。自分の持っているものに素直に感謝が出来、やりたいことをやり、楽しく生きています。

繰り返しになりますが、小林正観さんが言われる奇跡、幸せとは、無難な一日を過ごせることだといいます。奇跡な日々を過ごせているのだなぁ…

まとめ

奇跡とは無難な日々を過ごせることです。普通の毎日は当たり前にやってくるものではありません。

1秒先はどうなるか、誰にもわかりません。私たちは大きな幸せを望んでしまいますが、自分にとって心地良いことが幸せと感じられることなのだと思います。

穏やかな日々において、いつも感謝できることを見つけ、感謝して「幸せだなぁ」と言いながら生きていけば、奇跡な毎日を過ごせることになるのではないでしょうか。

何かアクシデントが起きた時に、普段の何もない穏やかな日々が本当に幸せだったと思える私たちがいると思います。

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