何故人は自分の味方を必要とするのか?

誰もが“自分”と“他”という孤独をかかえている。

どんな人も自分以外の人にはなれない。

自分でしか在り得ない。

それはどんな時にはっきりわかるかといえば、例えば、痛みを感じる時である。

痛みはどんなに説明しても自分にしかわからない。

人の痛みもどんなにわかってあげようとしても、わかりきれない。

そこが決定的に自他との区別ができるところだと思う。

それはどんな<いのち>であっても、生まれたばかりの赤ちゃんであっても同じだ。

誰もがそんな“孤独”を抱え生きるとき、誰かが自分と溶け合いひとつになれることがあるとしたら、どんなに心強いだろうか。。。

そういったものを、多くの人はパートナーに求めるのだろう。

それは、味方になるということでもあると思う。

溶け合うことができないにしても、味方にはなれる。

闘う時、味方が大勢いると強くなるし、強い気分になることは、誰もが知っているし、感じることでもあるだろう。

それは、闘う時、生きる時にも言えることだと思う。

生きる時、味方がいると力強い。

味方がいることで、生きる力が湧いてくることもある。

間違っても大丈夫という安心感もできる。

間違っても大丈夫というのは、ありのままの自分で生きてみてもいいという安心感につながる。

ありのままの自分というのは、大宇宙の中の最もそのものらしい自然の自分。

自然の自分には、必要なものはすべて与えられている。

重要なことは、自分に与えられているものすべてを感謝して受け取ること。

感謝して、与えられたもを大事に扱う。

大事に扱うことで、その与えられたものが輝きだす。

それが、その個人に与えたれた個性、才能を活かし生きるということだ。

だからこそ、ありのままの自分で生きることが自分の才能を輝かせることにつながることになる。

ありのままの自分で生きるには、味方がいる。

それは、誰もがありのままの自分で生きるのが怖いからだ。

そうだとすると、大事な人がありのままの自分で生きられるように味方になることが、大事な人が才能を発揮して生きることの手助けをすることになる。

それは、まずは自分が自分の味方になることからはじめることなんだ。

自分の味方になることができなければ、他の味方にはなれない。

自分の味方になるということは、自己尊重感・自己信頼感(セルフ・エスティーム)を持つということ。

本当の意味で、誰かの味方になりたかったら、自己尊重感・自己信頼感(セルフ・エスティーム)を持つことだ。

それがわかってもすぐに、持てるものではない。

意識して自分を尊重・信頼していくことだ。

そして、何故自分を尊重・信頼できるのかということを知ることでもある。

それは、先述したように、大宇宙の中に存在する自然の自分には、必要なものがすべて与えられているということ知るということだ。

自分の<いのち>とか、自分の<からだ>とかという狭い捉え方でなく、大宇宙に存在する与えれた<いのち>、<からだ>という視点で観ることができるかどうかということが鍵かもしれない。

こういったことは、人や本から教わるだけでなく、自分の内側からやってくることでもある。

自分の場合は、何となくぼんやり自分で感じていることを、後に人の話で聴いたり、本で読むという感じがしている。

誰もが、自分から学ぶということを意識し、自分から学ぶ時間を持つことが必要だ。

ひとり静かに坐り、自分から学ぶ時間をとることが大事だ。

その繰り返しの実践が重要だと感じている。

感謝☆(^^)

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