☆ すべてのことに、「良い、悪い」の判断をしない
 「良い、悪い」の判断をしないというのは、今までの教育では、考えられなかったことかもしれない。「良い、悪い」の判断をしないということは、自分を否定しないことでもある。
 また、子どもに対して、「良い、悪い」の判断をしないということは、子どもを否定しないということである。
 例えば、子どもが、片付けをしない。そのことを悪いと判断するのではなく、片づけをしないことをそのまま受け入れる。
 そして、何故、片付けられないのか、疲れているのかもしれない、怠けたいのかもしれない。その気持ちに共感してみる。
 親、大人であっても、面倒に思うことはあるのだ。そこのところの「共感」がまず大事である。
 まず、共感し、その先に、子どもに対する言葉かけをする。そうすることで、態度がかなり変わってくるのだと思う。
 本当に疲れているんだなと思えば、「手伝うから、一緒に片付けようか」とか、「疲れているだろうけど、片付けがんばって」とか・・・・。
 子どもを否定しないことで、子どもは罪悪感を持つことがなくなる。それは、とても重要なことなのだ。
 どこか、自分に対して、罪の意識があると、無意識に、自分は悪い、だめな子と自分を責めるようになってしまう。そうすると、自己尊重感・自己信頼感(する不・エスティーム)を持ちにくくなってしまうのである。
 親、大人であっても、否定されるより、自分を尊重されることで、たとえば、会社員であったら、仕事に対して、自分のためと、会社のために頑張ろうという気持ちが自分の内側から起きてくる。
自分と他者を否定しないことは、「大きな力」を持つ。
 相手が、子どもであっても誰であっても、その「いのち」として、対等であり、お互いに尊重することで、誰もが大事な「いのち」なんだと思えるようになってくる。
 そうすることで、「いじめ」も、自然と減ってくるしかないである。誰もが、尊重されるのだから、人をいじめて、ストレスを発散させる必要がなくなるのである。
 また、規則・ルールというものは、社会の一員として、「守る必要がある」ということを、教える必要があるのだと考える。
 その規則というのは、いろんな人が、ともに暮らす社会の秩序を守るためにあるのだから、自分が気持ちよく生きるために、守る必要があり、親・大人が率先して守り、子どもが守れるように励ますことが大事なのであろう。
 その後に、おかしな規則があれば、規則・ルールそのものの、あり方や改正なども考えるという風につながる。
 また、その規則なども、ケースバイケースで、「智慧」を働かせ、許されるものがあることや、柔軟な思考というものが、現実を生きる自分たちにとって、生きやすい世の中ということになるのだろう。
 その考え方を、もっと広げて、自分に起きるすべてのことに対して、「良い、悪い」の判断をしない。
 起きてくることをそのままに受け入れ、その上で、自分のいるその位置、場所で、自分のできることを、これまた、自分で感じ、「智慧」を働かせ、実行することが、自分の人生で、与えられたものに、感謝して生きることにつながるのである。
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説明不足もある。。。
でも、自分の考えが書けているとも言える。。☆(^^)

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