お釈迦様は、「すべては苦」であると説きました。生まれることも、病むことも、老いることも、死ぬことも、苦しみだといいました。
 この「苦」というのは、文字通りの「苦」という意味ではありません。もともとは、パーリ語では、“ドゥッカ”といいます。これは、
--思うがままにならない--
という意味です。私たちは、「思うがままにならないことを、思うがままにしよう」としたときに、苦を生ずるわけです。
 老いることは、思うがままになりません。老いが苦しくなるのは、いつまでも若くありたいと思うから苦しむのです。
 いまここにいるわたしが、とりもなおざず、「あるがままのわたし」とわかればいいのです。
 思うがままにしようとしなければいい、苦にしなければいいのです。病気になれば、いまのわたしは病気でしかないのです。苦しいときは苦しいのです。痛みをなくそうと思うから、苦しくなるのです。
--判断放棄--
してしまえばいいのです。仏様に、まかせておけばいいのです。
。。。。。。。。。。。。。
というか、任せるしかないと思う。
ここ思うがままにならない2、3年を過ごさせて頂き、実感している。
自分の力や、自分でどうのこうのしようと思っても無理!!
どうしようもないことの連続を過ごさせて頂くことで、自分のちっぽけな自我・エゴで生きていてもどうしようもない!
ということの気づかされた。。。
自分のことで、自分が何とかすれば、何とかできる問題にしかぶつからなければ、これはわからないのかもしれない。
自分はそうだった!
 直に自分の問題ではなく、だけど関わりがあり、どうすることもできない状態にきて、初めて、「祈る」ということがどういうことなのか、わかりかけたのかもしれない。。。
大きな流れや大きな力の中で、自分が抗っても仕方ない。
かえって、自分が苦しくなるばかり。。。
大いなるものにお任せするしかない。
 明治の日本が生んだ天才宗教哲学者 清沢満之(きよさわまんし)も、如来様から与えられたものを、有り難く受け入れることを言っている。
 「人事を尽くして天命に安じることにすぎないようにみえるのだが、私はむしろ、天命に安じて人事を尽くすといいたい。なぜなら、天命に安じるのはいうまでもなく、人事を尽くすとことまでもみな天与の恩賜であるから、まず天命に安じるのでなければ人事を尽くすことができないからである。」
これを読んで、納得。。。
特に、自分の思いのままにいかない日々を送るときに納得させてもらった!
有り難いことだ!
思うがままにならない、あるがまま。。。
あるがままのその奥に、生かされている「いのち」に感謝だ。
大いなるものにお任せするその信頼が、自己尊重感・自己信頼感(セルフ・エスティーム)につながる。
大いなるものに、「守られ・愛され・育まれて」いる。☆(^^)

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