この前のホリスティック医学の講演会の後、懇親会にも参加させて頂いた。
最初はひとりで行くつもりだったので、さっと返ってくる予定だったが、ボランティアグループの代表の方と一緒に参加することになった。
私は平成12年、13年とホリスティック医学協会の会員だったことがある。そのときは何回か勉強会や例会に参加していたが。。。
現在はホリスティック教育協会の会員である。
ホリスティックは関わり、全体性、全関連的であるのだから、つながっているんだよね。
その懇親会では、帯津先生の前にボランティアグループの代表の方が座り、私は斜め前。
そんな座席に座って良いのかという感じだが、代表の方に連れられてという形になった。
そして、美味しくよく食べ、よく飲んだ。
ここ何年か飲み会というような席にはあまり出なくなっていたし、たとえ何かに参加しても、そんなに食べたり飲んだりしないのが常だった。
多分無意識に気を使ってしまうという性質が出ているのだろう。
それが、ほとんど面識のないこの会の懇親会で、しかもホリスティック医学協会会長さんの前の席で、気楽に過ごせたのには正直びっくりしている。
お連れの代表の方が持っておられるオーラが「ざっくばらん」「自由」なんだろうと思う。
そして、ホリスティック医学協会の会員の方たちも「自由」なんだなぁと感じた。
何しろ、自分自身が自分を売り込むつもりが全くなく、また他の人の活動を深く知りたいというものもなく、ただ、のんびりと座らせてもらっていた。
それを許せる空間を作り出しているということは、とても素晴らしいことだと思う。
特に、帯津さんはかなりの人物なのだろうと改めて思った。
それは、本当に普通の優しそうなおじいさんという感じが彼の持つオーラだったから。。。
でもものすごい勉強量と実践をされてきているのだから、“本物”なのだろうと感じている。
そこで、このような自分の在り方について感じてみると。。。。
結構イケテいると思う。
不思議なくらい自然な感じだ。
特にものすごく楽しいというのでもなく、ごく自然な在り方で居ることができたこと、そのこと自体が本当は素晴らしい喜びなのだと思う。
私自身は人の中にいて前に出たり、中心になるのを好まないようだ。
気楽にそこに居ることで自分らしく居られるんだとつくづく思った。
ちょっとお若い方にカウンセリングについて語らせて頂いたということもあった。
自分が話をする場を与えられ、またそれを聴いてくだる方が居るということに感謝。
ただ、それだけでは自分らしくなく、やはり自分が打ち込んでいる何かが必要なのだと思う。
それは自分が打ち込むもの。
私の場合は今は「ひとり」で打ち込むもの。(昔はソフトボールだったんだけど)
その自分が打ち込むものに全身全霊傾けて生きることなのだと思う。
捉え方によっては、どんな時もいつも全身全霊生きることが「より良く生きる」ということなのかもしれない。
陰陽のバランスや静と動のバランスを考えると、自分の場合は、ひとりでいる時に「動」「陽」で全身全霊。
グループや集団になると「静」「陰」の全身全霊が自分らしいということになりそうだ。
ただ、自分が主催する「学びの会」だけは、その中庸かな。。。
でも、その時々はバランスの割合も変わるだろうから、そんなに枠に囚われることはないと考えている。
そこで意識して注意する必要があるのは、自分には居場所があるということだ。
中心でないから、「遠慮」しなければならないということではない。
「遠慮」する必要がない。
自分が居る場には、自分の居場所が存在するのだ。
「空気を読む」必要など、全くないんだね。
私には無意識に空気の読み過ぎで、自分を軽く、乱暴に扱ってしまう癖がある。
ちっぽけな自分を大事にすることができなくて、ちっぽけな他者を大事にできるばずもない。
今回の出来事でこのようなことを感じた。
大切な気づきだね。
感謝。☆(^^)
