もやもやしていた。。。
小旅行のお蔭で少し、霧が晴れてきたが、それでも、どこかすっきりしない感じがとれずにいた。
丁度、今日は自分が開いている「会」のある日。
参加される方には本当に気ままに参加して頂いている。
このところ、参加者が見みえないこともある。
今日も参加者がみえなかったら、ひとりでじっくり自分の内側と向き合う時間にしようと思っていた。
 そうしたら、続けて参加してくださっている人がみえた。
ふたりの会となった。
でも、今日は自分は「イメージワーク」をする気分になれない。
その方にもそれを話して、今話したいことを話して頂くことに。。。
そのお話を聴いているうちに、いろんな“思い”が、自分の中に浮かんできた。
自分の目の前に映るものは、自分の鏡。
自分にないものは聴くことも感じることもできない。
現状に感謝する気持ちが薄れていること。
ありのままの今に感謝せずに、こうしたいあーしたいと欲があることを感じさせてもらえた。
その参加してくださった方が、とても好意をもって接してくださっていることが感じられて、有難く思った。
本当に有難いことだ。
車で片道40分から50分かかる道のりをやってきてくださるのだから。。。
それも私に会いたいからと言って下さって。。。
感謝しかない^^
 今日強く感じさせて頂いたのは、子どもたちへの感謝。
親の自分が、楽しく愉快に暮らしていくことは素晴らしい。それが周りにつたわるというものでもある。
でも、その楽しい時間を持てるのは、どういうことなのか、そこを深く知ることが必要なのではないか。。。。
また、自分と子どもたちの「いのち」が、親と子として生まれたきた訳とは。。。
そのような視点で見ることをしてみた。
自分の場合は、我が3人の子どもたちは、親としての愛情を必要としているように感じる。
それは、具体的に何かをして欲しいというのではなく、もっと深い根っこの部分での「大きな愛情」という感じ。。。
それは、自分は確かに感じるものだ。
その感じる力、感じる時間を大事にしなくては。。。
それは、ひとり静かにしているような時間にわかることなのだ。
目先のものではなく、その子どもたちの個性、才能が生かされる生き方ができるように、ただ祈ること。
これは、自分ひとりでしようと思えば、いつでもできるものだ。
それが、大事なのだ。
目に見えて、手を貸すのではなく、いのちの根っこの部分でのつながりというか、「祈り」。
その祈りの中で、今は具体的に手を貸すときがあれば、それもわかるだろうし、ただ見守ることが必要な時なのかも、自分の内側が教えてくれる。
そんなことを感じさせてもらえた。
また、その子どもへの思いから、子どもへの感謝の気持ちが自分の内側から湧いてきた。
そんな視点・そんな観点がホリスティッック的であるのだろう。
しばらく、ホリスティック的な考え方と離れていたようだ。。。
私はピンチはいつも弘法大師様から救われるなぁ。。。
もちろん、私が弘法大師様を拝むことから、救いの手がくるのだけれども。。。
私の場合は霧や闇に包まれて、迷い見失って自分の小さな枠の中で、もがいている間は、霧は深くなり、闇は濃くなる。
どうしようもなくなって、弘法大師様に救いの手を求めると、必ずヒントやきっかけがやってくる。
振り返ると、不思議なことだけれども、いつもそうだなぁ。。。
「同行二人」
この修行の道を共に歩いてくださっているのだぁ。
感謝☆感謝☆
自然にいつもの感じで「感謝」が出てきたー
有難い☆(^^)

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