日本のこれからの教育改革に対する、独自の考えを書いてみたい。
文部科学省の教育改革の諮問機関のトップに、私は、宗教評論家の「ひろさちや」さんを推薦したいと思う。
断っておくが、宗教を教育に取り入れるのではない。
生きることや人間の基礎教育には、なくてはならないもの。。。宗教の奥の奥にある、人としての生きる道を指し示してくれるのではないかと思うのだ。
「ただ生きることが素晴らしい」という考えを、根本に置くことで、誰をもの「いのち」が尊重される。
その「いのち」が尊重されることで、誰もが大事な存在になる。
自分が大事な存在だと思えるようになれば、自分を大切にすることができる。
このときに、要注意なのは、
自分だけが大事ということではなく、自分が大事ということ。
その違いがわかるだろうか。。。
自分だけ、だけがつくと世の中がめちゃくちゃになる。
自分が大事、そして、周りにいるのは、自分と同じように、「自分を大事だと考えている他者」なのだ。
そのように、認識するとき、自分がされて困ることは、他者にはできなくなる。
自分を大事にすればするほど、他者の大事さもわかるというものだ。
そのような、人間として、本当の基本の基本を、現社会に活かせる「智慧」を持つ人が、日本の教育改革に参画していかなければ、この混乱はひどくなるばかり。
一人ひとりの人間の質を高めることでしか、教育改革は光の方向へと進まない。
誰もが大事な存在であることを、自分の内側から感じられるようにすることが重要なのだ。
それには、ひとり静かに坐る時間、瞑想やお祈りの時間を、誰もが持つ必要があると思う。
そして、それは、組織されてはいけない。
誰もが、「ひとり」で実行するのだ。
少し前の時代であっても、おじいちゃん、おばあちゃんは、皆朝は仏壇に手を合わせ、お経をとなえたり、感謝したりしていた。
子どもたちを叱るときも、皆何にでも、神様が宿っているのだから、粗末にしてはいけないなどという「教え」をしていた。
少し昔の日本は、大人になっていくと、何かしら「悟り」のようなものを身につけていっていたのではないだろうか。。。
だから、誰でも、大人や老人たちは、名もない片隅に生きる人であっても、一人ひとりが、自分のできることや、自分の人生に誇りを持ち、尊敬できるものを身につけていのだと思う。
自分に誇りを持っていたように思う。
だから、昔の人はいろんなことができた。
不便であったせいもあるだろうでけど、いろんなことができる大人を子どもは、「すごい」と思い、尊敬し、自分もいろんなことができる大人になりたいと考えた。
その表面的なことを言いたいのではなく、「自分に誇りを持ち生きる」ということを言いたいのだ。
「自分に誇りを持てる」ような教育をしていく必要がある。
そのためには、自分の内側から、わからなくてはならない。
前述したように、ひとり静かに坐る瞑想、お祈りなどが必要だ。
座禅を組むというようなことが、大事なのではないだろうか。。。
ホリスティック教育学を研究中の自分はそんなことを考えている。☆(^^)
