はじめに

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自分の住まいを無くしてしまうことってどんな思いなのだろう。

その時は、母の思いに寄り添うことは出来なかった。

施設に入り、帰る場所がなくなるということとは、どんな思いなんだろうか…

きっと言葉には出来ないやりきれなさとか何とも言えない寂しさと様々なものが交差したのだと思う。

母のアパートを引き払う

 今日やっと、母のアパートの荷物を、出すことができた。一人暮らしをしていたのだが、脳梗塞で、半身麻痺になり、ひとりで暮らすことが出来なくなった。

母は一時期、うつに陥り大変だったが老人ホームを移ってから状態が徐々によくなってきた。
しかし、この先どれほどよくなっても一人暮しに戻ることは、無理だと母も自分で判断しアパートを引き払うことにした。

業者に荷物を運んでもらったが、いるもの、いらないものなど、母といえど、他人の荷物の整理は、ごちゃごちゃで、疲れた…


まぁ、妹が近くにいるので、二人で協力してやったので、助かってるが、ウチにも、妹の家にも、母の預かる荷物を持ってきているので、ごちゃごちゃと大変だ。

でも、今は、生活が変わる変革期のように感じている。
変わるときは、混乱がつきものだ。

時の流れに身を任せるしかない

時の流れと共に、老いていくことを受け入れるしかない。

母はずっと元氣でいつも変わらずに居るなどと、多くの人が思っている。

私もそうだった。

母は変わらずいつも元氣なんだと…

仕方がない、時の流れと共に、全てが変わりゆく。

それが自然というもの。

自分もそうなのだ。

寂しいけれど、それが大自然の法則。

だからこそ、今を大切にすることなんだ。

母の思いに寄り添えなかった

母の面会に行ったのは、アパートを引き払った次に日。

母は、アパートを引き払った日に来てくれると思っていたと言った。

その時は、私たちも自分の生活をしながら、母のことをしているのだから、それは無理だよーと思った。

けれども、母の身になれば、本当にそうだよね。

自分の家が無くなり、帰る場所がなくなる訳なんだもの、身内と何か話しがしたくなるのって当然だよね。

そんな悲しい気持ちに寄り添うことが出来ずに、悪かったと思う。

今なら、もう少し寄り添えるかも…

やはり年をとって、経験しなかればわからないことは確かにある。

おわりに

何事も自分ごとにして、寄り添うことが大事なのだと思う。

しかし、自分と他者との境界線も大事だ。

それぞれに今世で学ぶ課題が違う。

同情は違う。

ただ、その身になって寄り添うことが大切なのだと思う。

母に対する優しさがその時に会ったら良かった…。

しかし、その時はそれで精一杯。それも確か。

全てはそれで良かったのだと思う。

精一杯の愛で母との関わりをしていたのだから。

感謝。

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