息子が不登校になり、新しい学びがはじまった。勉強をはじめて10年以上になるが、自分が不登校の子どもたちと共通の部分を、いっぱい持っているなということに気づきだした。
この活動は、生きづらいと感じている人たちや学ぶことに喜びを感じる人たちと共にと考えたわけでははなく、自分が生きづらいと感じているからだ。学ぶことが喜びと感じてるが・・・。
生きづらいなぁと感じている自分に気づき、強くそう思うようになってきた。
小学生までは、ボーッとした子だったと思うし、中学、高校、実業団とソフトボールを、ばりばりしてきたし、
結婚してからも、ずっと、ソフトボールを続けてきた。
また、勉強との出会いがあり、楽しく勉強し、また、それを活かすための活動も、
自分なりには、それなりの成果も出し、頑張ってきた。
けれども、よく思い返すと、
ソフトボールは、ソフトがわりとできるということだけで、
いろんなことが、免除されてきたというのか。。。
苦手なことや、嫌なことは、わりとせずに済んできたので、よけいに気がつかなかったのだと思うのだが。。。
それが、ソフトを離れて、また自分でも今までやってこなかった活動などを、
やりかけてみて。。。
活動はやりたいが。。。
また、やるとそれなりの成果はでるけれど・・・。
成果を出すために、自分では、かなりの努力をし、
それは、充実もするのだが。。。
一つ、気になることとして、体調がものすごく悪くなったのだ。
特別に病気ではない。
でも、ひどい時には、朝起きても座っているのも、辛く、すぐまた横になって寝ることもあった。
それが、3,4年続いた。その間も頑張っていろんなことをやっていた、家では寝ながら・・・(笑)
外にでたら、何とかやれたしね。。。
まるで、不登校の子どもが、学校では普通に頑張っていますよ。
というやつと同じだ。
家に帰ると、疲れたー、ってね。。。
でも、
その渦中には、自分の生き方の方向性が、自分を苦しめているとは、気がつかなった。
そんな時期に、不登校の会などに参加して、不登校の子どもたちのことを、聴くと、
自分と同じだな、自分は大人であるが、不登校の子どもと同じタイプだと強く感じるようになってきた。
だから、不登校の子どもの気持ちも自然とよくわかるのだ。
私は、今の社会の在り方だと、生きづらいと強く意識するようになった。
でも、何か、嫌なことや苦しいことがなければ、
これでいいと、気がつかないことが多いのは、仕方がないことなのだ。
嫌なことや、問題が起きてみて、はじめて、
いろんな事を考え、また、気づきもする。
だから、生きづらいと感じている人は、何かに気づくチャンスなのだと思う。
また、そのようなことがない人には、いくら話してみても、心に届かない。
これは、実感だ。
今の世の中で、それなりにうまくやっていっている人たち、
すなわち、先生や、子育てにそれほど困ってない親にも、わかってもらえるように、自分なりに
努力してきたし、これからもそんな活動を頑張ろうと思っていた。
それが、不登校のような繊細なタイプの子どもたち、また、ユニークな人間、弱者、障がい者などの、「少数派」が、少しでも生きやすい社会に、なっていくことなのだと信じていた。そういう仕事をする人が必要だ。
でも、それはどうも、私の役割ではなかったようだ。
自分のからだが、調子悪くなり、それを教えてくれた。
そこで、やっと、自分は、生きづらい人たちのためにできることはないか・・・、その人たちと、共に学んで、成長してきたいと思うようになったのである。
役に立てれば、嬉しいが、そうでなくても仕方ないと思えるようになった。
自分自身が、「感謝」と「喜び」を持ち、生きることが、私にできることだ。
根っこの「いのち」がつながっているのなら、自分ができることをしたら、それが他にもつながるのだ。
私は私を生きる(^^)

