はじめに
彼は初孫であり、自分にとっては、孫であり子どものような存在なので、自分のエネルギーを存分に注いだ3年間となった。
肩の力が抜けてほっとしたけれど、ほんの少し寂しい気持ちがしない訳ではない。
けれども、ホントの所限界だったし、これ以上は続けられないというのが現状だということは、自分でもよくわかっている。
そんな今の気持ちに丁寧に向き合って整理しておきたいと思う。

孫が部活を頑張った2年半の私と孫との二人三脚の戦い
孫が高校に入学してから、祖母である私はかなりのサポートをしてきた。
思ったより保護者の応援が必要だったことにびっくりするくらいだったので、本当に大変だった。
部員のほとんどが、スポーツ推薦で入学している。
それだけレベルが高いし、子どもたちも親もその氣で入学してきているのだ。それに比べて孫の家は元々体育会系の家庭ではない。
生活のリズム自体が、スポーツに向き合うという環境が出来ていなかった。
そこで、私は高校にソフトボールではあったけれども、特待生で入学して高校3年間を過ごしたということで、何か力になれないかと動きだした。
娘は保護者のライングループに入らなかったので、そういったことを引き受けてやってきた。
娘はそういうことが出来ないからという理由で、私立の高校に入ることに反対もしてきたということもある。
私自身は繊細さん気味でもあるので、コミュニケーションを取っていくのが大変だったが、孫の為に必死に頑張った2年半となった。それだけに無事の卒業は本当に嬉しい。
卒部式には、娘夫婦とまだ小さい三男坊も一緒に参加できた。
私の人生においても、これだけ必死に頑張って過ごすことは、もう最後だと思う。
スポーツの勝負の世界で、敵は相手だけではなく、校内での競争がすごいものだった。特に孫の学年は、エースがいなくて、同じくらいの実力で誰が団体メンバー(レギュラー)に選ばれてもおかしくないという感じだった。
それだけに、いつも団体メンバー争いが熾烈だったし、選ばれたら選ばれたで、試合に勝たなければいけないので、応援もハラハラだった。
とにかく、孫の状態がベストでプレーできることに焦点を当てて関わってきた。
そういう意味では、娘はスポーツの世界を余りわからなく、孫は家の中での娘との闘いと部活での戦いということで、ストレスは大きかったと思う。その為に私は良い環境をつくらなければとより神経を使ったという所でもかなりのエネルギーを使った。
本当に苦しかった日々だった。娘も娘の立場で子を思い、一生懸命に関わっていたのだとは思う。娘も辛かったと想像はできるが…
間に挟まれて、やり切れない面もあった。
それは孫も同じだと思うし、そういう意味で部活と家の中での戦いを二人で頑張ったとも言える。
振り返ると、その娘の怒りが1年生の時の孫の不調を呼び込んでいたのではないかと思うのだ。それはもちろん私の方の見方で、感じ方だから真実とは言えないが、元々スポーツ推薦の高校へ行くことに反対だった娘の怒りは、相当激しいものだった。
娘も娘で辛い気持ちが大きかったのだろうと思う。
でも、部活での結果を出す必要がある孫は厳しい戦いだった。孫と私の二人で本当によく頑張った。
また、そんな娘のお蔭で私と孫との関係が深まって、濃い2年半を過ごすことができたということもできるんじゃないかと思う。良い悪いじゃなく、そういう孫との縁の深さがあるのだろう。それだけに素晴らしい時間を過ごせた訳だ。感謝しかない。
60代半ばになった私のこれからの生き方
このようにスポーツや何かに必死になる生き方は、これで終わりにする。これまで自分のこと子どものことや孫のことでも、イヤなことや氣が進まないことも必要だと思い頑張ってきた。生まれてから60代半ばまでそうやって頑張ってきたんだから、もういいんじゃないかな。
イヤなことや氣が進まないことはしない。
ただ、自分がやりたいことに関しては、精一杯やっていきたいと思う。
中高年時代は、社会の為に何か大きく役に立つをしたいと考えていたし、小さいことでも何か社会の役に立つことをするという気持ちを強く持っていた。
そういう気持ちが今は無くなってしまった。それを氣力の衰えというのかもしれないと思っていて、それではいけない何かしなければといつも焦っていたような感じもする。
だが、今はそんな自分でも自分の心が求めていることを素直に認めて、その心に沿って生きることを大切にしたらいいんじゃないかと考え始めている。
自分を喜ばせる生き方をして、それが周りを喜ばせることになると一番良い。
すぐにそうなるかは、わからないが、とにかく自分を喜ばせることを第一に考えてみようと思っている。それは今までに無かった生き方だ。
他者の為に何かしなければいけないというような強迫観念があったのかもしれない。良い人になる必要性を感じていた。
心理カウンセラーの資格を取り、相談活動をしてきたことで、そのように自分を縛っていたのかもしれない。
わがままに生きて、周りに迷惑をかけたい訳じゃない。わがままに生きるという言葉からすぐに周りに“迷惑”をかけるという発想が出てくること自体が“わがままに生きる”ということに私は抵抗があり、批判があるのだと思う。
わがままに生きている人に対して否定したのだと思う。特に言いたいことを好き放題言っている人に対しての反感がすごかったように思う。
言いたいことを言っている人と言っても実際にそうかどうかより、私がそう感じている人に対して反感があった。
でも、それもその人の生き方なのだし、私がとやかく言うことではない。
私は私のやりたいようにやればいいのだから。そういう考え方もこの3年間は、封印していた。孫の部活の雰囲気に合わせる。保護者グループの雰囲気に合わせる。先生たちに合わせるということをしてきた。多分合わせ切れてないと思うが、極力前に出ないように、後ろからついていくことを心がけていた。
それでも、心と全く違うことをしていた訳でもない。感謝の気持ちをもつことで、自然にそうなれたところも大きい。
ただ、この3年間は目的があった。孫をなるべく良い環境で、孫の力を最大限発揮できるようにすることだったから。
おわりに
その目的が無くなったので、そういう意味じゃ氣楽になった。
また、そういう氣楽さで生きても良い年齢になったと思う。これまでイヤなこと苦手なこと精一杯頑張ってきたんだから、もう良いはずだ。
人生の終わりに近づいてきているのだから、悔いなく生きなければ、もったいない。
私は死ぬ時には、必ず私の人生楽しかった。ありがとう。といって死ぬと決めているのだから、悔いを残していてはそうできない。
悔いなく生ききるために、今は自分の心に丁寧に向き合うことを一番にしようと思っている。その先にまた何か見えてきそうな氣がする。 そんなことを考えられることが嬉しい。有難い。感謝しかない。
