
世の中の全ての物事には二つの側面があると感じています。
二つの側面とは、極論かもしれませんが良い面と悪い面です。同じ出来事でもみる角度や視点が違えば全くの別のことと捉えることが出来ます。
そこから、何を学ぶかが大切な事だと思います。
はじめに
私は、亡き母からよく聞かされた言葉があります。
「どうでもいい」
私は「どうでもいいって何?」「何がどうでもいいの?」と、その言葉を聞く度に腹立たしい気持ちになった事を覚えています。
「どうでもいい」と言う言葉には、自分も相手も大切にしていないように感じたからです。
また、「どうでもいい」の言葉には、丁寧さや尊重する心が欠けているように感じます。
そんな母の言葉「どうでもいい」から学んだことを紹介します。
母への反発
結局、母の言う「どうでもいい」という言葉に反発していたのは、母に対する反発なのだと思う。
どこか母のことを卑下するというか、他のお母さんのようでない母に対して、素直な気持ちで見ることができなかったのかもしれない。
私が子どもの頃は、特に頭ごなしに大きな声で怒鳴るとか、人前で怒るとか、優しさや穏やかさとは程遠い感じだった。
それは母だけのせいではないとは思う。母だって、子どもの頃にそのように育てられたのだろし、自己肯定感を育むような関わりをされなかった結果なのだろう。
また、母の父親が島では力のある和尚さんだったようだった。
私からすると祖父になるが、早くに亡くなったので会ったことが無いが、島で力をもっている人だったらしいということだ。
母からすると、すごい人が父親だったということで、何となく周りの人を小ばかにするというか、そんな思いが心の中にあったように思う。
私から母に対して思うことは、頭ごなしだったことが一番イヤだったかな。
小学生くらいまでは頭ごなしで子どもは言うことを聞かせるという考え方だったし、私の子どもたち、母からすると孫たちにも結構頭ごなしに関わっていたように思う。
近くに住んでいなかったので、会った時だけのことだったが。
ご先祖様からの影響
強くてキツい性格といえばいいのか…
そういう性質の人だと思う。
母の祖母に、すごい怖いばあさんがいて、その人は“かみなりばぁ”と呼ばれていたらしい。
とにかくすごく怒って雷を落とす人だったということ。
そういう傾向が母にもあったと思う。
また、その傾向は娘にもあるように感じている。
それで、そのことが氣になり、そのおばあさんのことを母の妹に問い合わせてみた。
そして“かみなりばぁ”と呼ばれていたことを聞けた。
娘の性質で似ている部分を感じているので、そのおばあさんのご供養が必要なのかと意識して思い氣を送ることをはじめた。
元々ご先祖様には氣を送っていたが、朝晩名前を言って氣を送ることにした。
自分や子どもたちの内にある深い性質には、先祖代々の課題もあると思う。
自分だけの力ではどうしようもないこともある。
娘と私にも変化があった
そういったことはご先祖様をご供養して、またご先祖様のお力も借りて良い方向に向けていくことが必要なのだと思う。実際おばあさんに氣を送り始めてから、変化があった。
娘としっかり話せた。
娘は母である私に言いたいことが沢山あったようだ。孫が部活引退するまで我慢してそれを抑えていたので、その気持ちが爆発した感じだった。
もちろん母である私だけが悪いとか娘の方が悪いということではない。
様々なことがあってこのようになってきたのだから。
しかし、娘が言いたいことを母である私に伝え、私もそれを聴きいれ、お互いに良い方向を向いていこうという形になれたことは有難かった。
私と娘は考え方や生き方が違う。言葉の使い方や表現に仕方も違うので、私の娘への理解が薄かったのではないかと思う。
私からすると娘が中学の頃から頭がおかしいんじゃないのと思うようなことが多かったのだ。
似ていない分、理解もしにくく誤解したまま怒っていたかもしれない。
きっとおばあさんにも私の母にも似たようなことがあったのだろう。
それが少し癒されたのかなぁ…
続けて氣を送っていくつもり。母も母の祖母にも沢山の光が必要なのだろう。とりあえず、私が氣を送れることは有難い。
「どうでもいい」という言葉に救われた
「どうでもいい」という言葉に戻るが、その言葉が今は良いんじゃないかと思えている。
「どうでもいい」ということは、こっちでもあっちでもいいということ。
それは小さなことに拘らずに大らかにいていいということになる。
また正解が一つだということでないということも含まれる。
どうでもいいというのは、氣楽だ。
そういえば、どうでもいいという言葉を沢山言って助けられてたことがあった。
昔、次男夫婦が同居している時のことだ。食事は別にしていた。一つの台所を私とお嫁さんが使う。
とてもできているお嫁さんで、私と重ならないように早めに台所を使ってきれいに片づけてくれていた。
それでも私の台所な訳で、細かい所で小物のしまう位置が変わっていたり、うちにあるものを勝手に捨ててしまっていたりすることもあった。
また時間をずらしてくれているが、毎日のことだから重なってしまうこともある。
そんな時、「どうでもいい」「どうでもいい」と言ってやり過ごすことができた。
本当にその言葉に救われた。母の「どうでもいい」という言葉に怒りを覚えていたが、その言葉に救われ、その言葉の意味を考えると大らかいればいいということを教えてくれている。
まとめ
「どうでもいい」と言う言葉には、良い面として「おおらかである」事と、悪い面として「相手にしていない」と言う側面があります。
人それぞれ感じ方は違います。ですが、物事はみる角度や視点で変わってくる事は間違いありません。
「どうでもいい」
有難い言葉だ。今の私は「どうでもいい」の言葉に救われています。
そして母に感謝。「おかあさん、ありがとう」☆

